1966年10月東京モーターショーで発表され、翌月の5日に販売が開始された。パブリカとコロナの中間の車種として企画され、一般ユーザーの上位志向に応え『デラックス』な内外装を備え『スポーティー』を追求し、高速巡航性能を備えた小型乗用車の開発が行われた。
当初は排気量1000ccとしての企画であったが、日産自動車が競合モデル(初代サニー)を開発中との情報が伝わり、急遽排気量1100ccに拡大して性能強化を図った。エンジンは新開発されたK型水冷直列4気筒1077ccOHVで、最高出力60ps/6000rpmであった。低重心とコンパクトが目的で、最初からシリンダーヘッド部を正面から見て約20度傾斜させた格好で設計されている。日本国内では初のフロアシフトの4速マニュアルトランスミッション、日本製乗用車として初のマクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架などの新機構が取り入れられた。当時3速主流の中での4速化は高速道路化時代への対応、フロアシフトは操作性向上とコストダウンが目的であった。ストラット懸架はコンパクトなサスペンションで、これ以降の日本車メーカーの小型車で多く採用された。
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