LANCIA FULVIA COUPE HF1.2

LANCIA FULVIA SPORT 1200

 

LANCIA初のラリーマシン フルヴィアクーペ1.2HF

グランプリレース出場による財政難とエースドライバー、アスカリを事故で失うという不運が重なって、ランチアは1955年にグランプリ界から撤退。以降はワークスとしてのレース活動にはピリオドを打ち、もっぱらプロダクションモデルの開発に専念していた。しかし、その市販されたクルマたちはプライヴェーター達の手によってコンペティション・フィールドで活躍していた。
1963年、そうしたランチア乗りのプライヴェーターたちによって"HFスクアドラ・コルセ"が結成される。HFスクアドラ・コルセはランチアのセミ・ワークスとして活躍を続け、1965年についにランチアは再びワークスとしての参戦を決定する。
決して裕福とはいえない状況の中、プロダクションモデルの中で戦闘力の高いマシンとして選ばれたのがフルヴィア・クーペだった。1963年に誕生していたこのモデルは、狭角V4ユニットをフロントに配し、前輪を駆動するもので、コンパクトさが大きな武器となるラリーにか格好のモデルといえた。
コンペティションモデルに先立って送り込んだプロトタイプのフルヴィア・クーペは、1965年11月のツールド・コルスで第8位入賞、1966年1月のモンテカルロでは2位と3位を獲得し、そのポテンシャルの高さを見せつけた。

そして1966年1月にコンペティション・ユースを前提として登場したのが、このフルヴィア クーペ1.2HFである。
エンジンはプロダクションモデルと同排気量(1,216cc)ながら8HPアップの88HP、そして徹底した軽量化で戦闘力は大幅にアップしていた。

こうして、新たな武器を手に入れたスクアドラ・コルセは早速実戦に参加。2月のフラワー-ラリーで早々にウィナーとなる。その後1967年ジュネーブショーにランチアはラリーHF1.3、1968年のトリノショーではHF1.6を送り出す。1,584ccの排気量から115HPを絞り出すHF1.6は、エルバで1勝を挙げ、フルヴィアのラリー黄金時代の幕を上げた。

フルヴィアにとって最高のシーズンとなったのは1972年だ。伝統のモンテカルロを18年ぶりに勝ち取り、メイクスタイトルを獲得、チャンピオンの座に輝いた。そして、1974年から続くストラトス、037、S4などの一連のランチアのワークス活動の礎を築いたのだ。