1970年トリノ・ショーでベルトーネ社よりプロトタイプのストラトス(成層圏の意/造語)・ゼロが登場した。
ランチアはフルビアの後、WRCで勝利するためのマシンが必要だった為ベルトーネと共同開発することになり
1972年に幾多の改良を行いプロトタイプとしてWRC(ツール・ド・コルス)に初参戦した。その2年後、正式に
ホロモゲーション(グループ4)を取得し市販モデルとして参戦とすると 74・75・76年と3年連続メイクスタイトル
を獲得する。ワークスチームでの参戦は76年が最後になったが、これは親会社の FIAT社が131RALLYでの参戦を決めた為である。プライベートチームしては81年ツール・ド・コルスが最後の優勝となる。
WRC以外のレースにも積極的に参戦し、76年ジーロ・デ・イタリア優勝 76年ル・マン24時間耐久クラス優勝など
そのポテンシャルの高さは証明された。
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