ランチア 唯一の無冠マシン。
グループBの時代、ミッドシップ・マシンLancia
Rally 037でWRC(World Rally Championship)を闘っていたランチア(アバルト)は、熟成を続ける4WDマシンの前には戦闘力が追いつかず、ついに4WDマシンの開発に着手する。
ベース車は市販の小型5ドア・セダンLancia Deltaであった。コード名SE038として開発されたLancia Delta
S4は外見こそDeltaの面影を残すものの、その中身は全くの別物のミッドシップ・フルタイム4WDだった。
FRP製のボディの下はクローム・モリブデン鋼管のスペースフレームが組まれ、そのミッドにアバルトが開発したオールアルミ製直列4気筒DOHC16バルブ+アバルト製スーパーチャージャー+KKK製ターボチャージャーという二つの過給機を持つエンジンが搭載された。
2,500cc以下のクラスに合わせるため、排気量は1,759ccとなる。過給機が2つ付いているのは、発進時〜低回転時のトルクを得るためにスーパーチャージャー、4,000rpm以上の高回転時のパワーを得るためにターボを使用するためである。そして、これら2つの過給機を冷却するための二基の巨大なインタークーラがリアに搭載されている。
Lancia Delta S4のWRCへの参戦は1985年最終戦のRACラリーで、H. トイボネンとM. アレンが1-2フィニッシュを納めるという形でデビューWINを飾る。翌1986年、開幕戦のモンテカルロを制し、第2戦スウェディッシュ・ラリーでも2位を獲得。しかし、第3戦でフォードRS200が観客に飛び込むという事故が発生する。ランチアは、この時のオフィシャルの管理体制に抗議してレースをボイコット。そして運命の第5戦ツール・ド・コルスで、H.
トイボネンとS. クレストがコースアウトしてクラッシュ、炎上死するという大惨事が起きた。この事故をきっかけに、ハイスピードのグループBに対するレギュレーションの見直しが行われ、翌1987年からはWRCはグループA車輌で開催されることとなり、Lancia
Delta S4の舞台は消滅することとなった。
Lancia Delta S4の活躍はわずか1年という短いものであり、優勝6回、2位が3回、1986年のシリーズ2位という戦績を残し、WRCから姿を消した。ピニン・ファリーナによる流麗なデザインのLancia
Rally 037、WRCの「最強伝説」Lancia Delta HF Intregraleの間にあって、その無骨なスタイルや歴史からやや暗い影を持つLancia
Delta S4だが、そのランチア初の4WDで残した実績が後のLancia Delta HF IntegraleのWRC6連覇につながるのであり、Deltaシリーズ伝説の礎となったモデルと言えるだろう。
specification |
Engine Type |
水冷直列4気筒4バルブDOHC |
Cubic capacity |
1,759cc |
Maximum horse power |
450bhp / 8,000rpm |
Maximum torque |
46kg-m / 5,000rpm |
Bore / Stroke |
88.5 / 71.5 mm |
Comp. Ratio |
7.0:1 |
Turbo |
KKK+Roots compressor |
|