11月8日から11月13日までの6日間、私を含む総勢8名のスタッフで、インドネシアへボランティア研修に行ってきました。
今回の渡インドネシアの目的は、船便にて送り出した南スラウェシ州バンタエン県への寄贈品(中古の救急車、消防車、病院のベッド)の贈呈式に参列することと、その地域の方々との交流、また現在マカッサルにあるハジカラトヨタへ技術指導に行っている山本清一スタッフへ差し入れを持っていくことでした。
しかし行く前から何やら怪しい雲行き。なんと物資がバンタエン県に届いていないというのです!当初一月あれば十分届くだろうと予想されていた船便ですが、10月の末に到着予定を確認しようとしても確認がなかなか出来ません。日本ではなかなか考えられないことなのですが、とにかく連絡が取れない。メールを送れども返事が来ない。電話をすれば30分近く待たされ、挙句荷物が今どこにあるのかわからないという。一度来た連絡では「まだあと一ヶ月かかる」と言われ、なんとか別のルートで確認してもらうと 10月16日には首都ジャカルタに到着しているという話(ジャカルタからバンタエン県までは1週間もかからないはずなのです)。結局ジャカルタには間違いなく到着していたようなのですが、ジャカルタから荷物が動いていないらしく、11月になってもバンタエン県への到着予定はわからないままでした。日程を遅らせる話にもなりましたが、遅らせたところで日本でははっきりした到着予定日はわかりそうにないということで、万が一物資が付いていない場合は目録を送る、ということに決め、一週間前にしてようやく出発日が決定したのでした。
しかし問題はまだありました。今回ボランティアで現地コーディネーターをしてくださったユメイナさんとは、 9日にマカッサル入り、10日にバンタエン県へ行き、今回救急車やベッドを寄贈する病院の視察や現地の方々との交流、またこの日ヌルディン県知事との面会を予定し、翌11日に南スラウェシ州の州知事と面会するようなスケジュールで話を進めていたのですが、そのスケジュールをバンタエン県や州にメールで打診しても返事が帰ってこないのです。その日程で県や州サイドが良いのかどうか不明のまま、出発日前日の打ち合わせでは、12日を予備日として設けてはいるけれど、このスケジュール通り行くとは思わないでね、という・・・あってないような日程表をみんなで確認しながら、現地の子供達に配るお土産のおもちゃを皆で分けて持って帰ったのでした。(ちなみに8日出発を決めた数日後に、物資が12日にジャカルタを出発し16日にバンタエン県に到着するようだと分かりました。もしかしたら早めに出発して私達が居るころ到着することもあるんじゃ…?と話をしていたのですが、残念ながらそれは叶いませんでした。)
11月8日午前3時に会社の駐車場を出発。午前11時、インドネシアはバリのデンパサール空港に向けて出発。日本からちょうど7時間のフライトです。現地時間17時、デンパサールへ到着(時差はちょうど 1 時間です)。空港の到着ロビーに出た頃は丁度夕焼け日暮れ頃。あ、熱い…。夕方なのに「暑い」というより「熱い」。向こうはちょうど雨季に入ろうかという季節で、今が一番暑い時期だそうです。迎えのバスに乗り、途中両替所に寄ってからホテルに入ったのが18時過ぎでした。
インドネシアの通貨は Rp (ルピア)といって、10,000Rp がだいたい100円です。両替するとお財布がお札の束でいっぱいになります。物価はだいたい日本の3分の1くらい。例えばポカリスエットがスーパーだと約 4,000Rp 40円、カップラーメンが約 3,000Rp 30円くらいです。みんな買い物するときは指でゼロ二つ隠していました(笑)。
空港からホテルまでの間、30分ほど市内を車で走ったのですが、「混沌としている」というのが第一印象です。近代的な建物(だいたい海外の企業のビルは綺麗です)があったかと思えばその横にはトタン屋根の民家が立ち並び、いわゆる「東南アジアの人々の暮らし」イメージそのものというか、よれよれの服を着ていて、普段何をしているのかよくわからないようなおじさんたちが、たくさん道端で座り込んでいる通りがあるかと思えば、通信会社の大きな看板が立ち並び携帯電話を宣伝しています。「貧富の差」が激しい国であることはすぐに認識できました。
翌日は朝 5 時半にホテル出発ということもあり、前の日みんなほとんど寝ていなかったので夕飯のあとは早々に就寝しました。ホテルはレギャン通りという観光地にあるとても綺麗なところだったんですが、備え付けのシャワーはシャワーというより、まるで“じょうろ”のような水量で(笑)、お湯が出たのは最初だけですぐ水になります。部屋には2本ミネラルウォーターが備え付けられていて、この2本はサービスだそうです。現地に行ったら水代が結構かかるかと思っていたのですが、マカッサルのホテルにも備え付けられていたし、飲食店にはミネラルウォーターが必ずあるし、あまり水に困ることはありませんでした。
テレビをつけるとニュースや歌番組、ドラマ、バラエティ番組など色々やっていて、コマーシャルも化粧品や車や健康食品や電化製品など、日本と全くかわりません。これは意外でした。ただ、あの道端に座っているおじさんやバイクに4人乗りしている家庭では、このテレビを見ているのかなぁ・・・というかテレビの普及率ってどのくらいなのかなぁ・・・(こっちのアイドルは歌がうまいなぁ)など考えながら眠りについた初日の夜でした。
翌朝4時半起床。荷物の準備をしていると、ものすごい雨音が突然し始めました。スコールです。まだ完全に雨季ではないこの時期、スコールは突然やってきます。本格的に雨季に入ると、バケツをひっくり返したような雨が3日間降り続いたりすることもあるそうです。5時半にホテルを出る時にはすっかり止んでいました。
デンパサール空港から飛行機で1時間、バリ島の東側にあるスラウェシ島の都市、マカッサルに到着したのが8時過ぎ。ユメイナさんと合流しました。ユメイナさんは2年半前まで愛媛大学大学院に留学されていて、その時に彼女が愛媛トヨタさんのインターンシップに参画されたことから、今回のトヨタのエンジニア技術指導やボランティア計画が始まっています。後から聞いたのですが、ユメイナさんが留学のために松山に来日して来たとき妊娠7ヶ月で、下のお子さんも(現在2歳半の女の子と10ヶ月の男の子です)2人とも日本で出産されているそうです。(日本出産記念ということで、お子さん二人ともユミちゃんとトモヒロくんという日本の名前がつけられたそう。)母は強し。
空港からレンタカーで今日の第一目的、ハジカラトヨタの本社へ向かいました。レンタカーは運転手さん付だったのですが、そうでもなければ運転は自分たちでは絶対に無理でした。清一さんのレポートで多少覚悟はしていたのですが、マカッサルの交通事情は日本では考えられないような混乱振りで、交通規則といえばバイクはヘルメットを被る、一方通行は守る、接触しないようにお互い気をつける、ハイッ以上!というかんじ・・・。とにかく車とバイクの数が多く道路は常に渋滞、速度はあまり出ていないものの車線なんて関係無い、人も無理やり横断してくるのでクラクションが常に鳴り響いていてもうぐちゃぐちゃです。信号もほとんどないので交差点を右折したかったら無理やり突っ込むしかありません。車幅感覚は抜群でみんな一応すれすれで停まってくれるのですが、助手席に座ろうものなら生きた心地はしません。
ようやくトヨタマークのビルに到着、「あー着いたー」と思っていたら正面玄関から清一さんがふらりと出てきたじゃありませんか!(なんとなく一服しにきたら私達がちょうど来た、というのが本当のところらしいですが。)無事に感動?の再開を果たすことができました。
ハジカラトヨタ本社はとても綺麗なショールームが併設されており、中にはピカピカの新車がたくさん並べられていました。赤い洋服の女性スタッフがたくさん座っていて、お客様とお話されています。ハジカラトヨタでは、男性は外回り営業、女性は来店されるお客様の対応と電話応対で、赤い服を着た女性は皆さん営業です。
当初、社長のイメルダさんはヨーロッパに行かれていてお会いできないと伺っていたのですが、本社にいらしたようで、社長室でゆっくりお話させていただきました。ハジカラトヨタは、南スラウェシ州に全部で21店舗営業所を持っており、一番遠い営業所は車で14時間もかかるようなところにあるとか。ホテルやリゾート施設も経営する一大企業だそうです。社長のイメルダさんはとても若くて美しい方で、今回お土産に一刀彫りの土佐犬の置物を持っていったのですが、現在新築している本社ビルに飾りますとおっしゃってくださいました。あとからその建築中の新社屋の前を通ったのですが、それはそれは大きいビルで!驚きました。振興埋立地にそびえ立つその近代的な超巨大ビルからはハジカラトヨタ社の威勢がうかがえます。その後ショールームを見学させていただいたのですが、私達が到着する少し前に停電があったらしく(マカッサルは電力の供給が安定していないらしく、よく停電になるそうです。)、エアコンが稼動しておらずとにかく暑い。雨季に入る前で湿度も高く、日本で例えるなら梅雨が明けてない 8 月上旬の台風が去った後のものすごく晴れた日・・・みたいな気候です。現地のスタッフのみなさんも暑い暑いとおっしゃっていました。
お昼をはさんで、以前愛媛トヨタの方が2ヵ月半研修に行かれていたウリパ営業所に行きました。ここはショールームもありますが全営業所のサービス本部でもあり(こちらでいうところのトヨタ部品共販さんみたいな)全営業所の部品管理をする倉庫も併設されています。ハジカラトヨタでは車の整備を待つ方達の待合室がショールームとは別にあり(ショールームに比べるとても手狭でお世辞にもきれいとは言い難いところでしたが…)、テレビやマッサージチェアなど設置されています。この日も整備を待つお客様でいっぱいでした。
ハジカラトヨタはトヨタ車しか整備は受け付けません。それでもここウリパ営業所はだいたい一日に100台ほどの入庫があるとのこと。トヨタ車が広く出回っている事がわかります。本来であればここで、輸送物資の救急車へ回転灯などを取り付けるようなデモンストレーションを行うはずでしたが残念ながら物資が届いていないため、工場で当社自慢のサービスエンジニア、羽田スタッフとア山スタッフが日本の12ヶ月点検のデモンストレーションを行うことになりました。
インドネシアではチームで仕事をするという概念がない為、日本のやり方が現地のエンジニアスタッフに直接的に参考になるわけではないようですが(12ヶ月点検に似たような点検作業はあるらしいです。ちなみにインドネシアは車検がありません。)、たくさんのエンジニアの方々が作業中の手を止め集まってきました。二人ともたくさんの人に囲まれて緊張した面持ちでしたが、慣れない工具に戸惑いながらも汗だくになりながら作業をしている姿はとても凛々しくみえます。しかし、神妙な面持ちで、というよりは、若干楽しんでいる(面白がっている?)ように見える現地エンジニアスタッフの方々に一抹の不安の覚えながら、今回のデモンストレーションが何かしら誰かしらのメカニック心の琴線に触れるといいなぁ…と、見守っていました。
ウリパ営業所の次は、現在清一さんがお勤めしているアラウリン営業所に向かいました。本当はここでも12ヶ月点検のデモをする予定でしたが、停電のためリフトが動かず出来ないとのこと。非常に残念でした。ここでは時間が出来たのでスタッフの方と色々お話をさせていただきましたが、みんな清一さんが戻ると笑顔でおかえり〜と出迎えにっこにこ♪清一さん、完全に馴染んでいます。ここアラウリン営業所はウリパ営業所より少し規模は小さいですが、営業スタッフが全部で20人ほど、月 100台ほど新車販売があるそうです。ここで一番売っている女性営業スタッフは最高で月に14台も販売したとのこと!(ちなみにこちらのヴィッツが向こうではヤリスという名前で売られていますが、日本円にして200万〜300万ほどです。現地のエンジニアスタッフの月給が約1万円ということなので、向こうの新車がどれほど高価なものか分かると思います。)富裕層の人口も多いということが分かります。ネッツのショールームやスタッフの写真を持って行っていたのでお見せすると、女性スタッフがうちの制服に興味津々で、参考にしたい!とのこと。写真は清一さんに全部預けて、焼き増しして渡してもらうようにしました。みなさん笑顔が大変素敵な方々ばかりで、自然とこちらも笑顔になります。
お別れを惜しみながらアラウリンを後にし、ホテルにチェックインした後、ホテルの近くにある夕日の綺麗な公園へみんなで遊びにいきました。たくさんの現地の人々が集うとても広い公園です。海に沈む夕日の横に、遠いけれど大きいのでよくわかる派手なネオンで飾り立てられた建築物が見えました。それが、最近ハジカラ社が作った巨大屋内遊園地だそうで、近々施設内にホテルも建てられ、ディズニーワールドのような一大リゾート地になる予定だそうです。この遊園地目的で最近南スラウェシ州に来る観光客がかなり増えているのだとか。本当はハジカラトヨタ本社へ行った時、 11 日の日もし時間があるようなら是非遊びにいってみてくださいと言われていたのですが、私達は行きませんでした。公園の中を見回すと、家族連れやカップルなどたくさんの人々がいます。もちろん公園に入るのはタダなので、お金持ちもお金がないことも関係のない場所のはずですが…あの場所で見た、夕陽の横にならんだ建物のその違和感といったら!ここマカッサルは富裕層と貧困層で完全にコミュニティが分かれています。それまでもその後も、私たちが今回の研修で足を踏み入れた所はいわゆる富裕層の人たちの場所でしたが、この公園では特にその違和感を感じましたし(逆に今思えば現地の方は違和感なんてないのかもしれません。それが日常ですから。)、私達が目にしておかなければならないものはアレじゃない!とはっきり思いました。もちろん観光収入は重要な財源です。しかしその収入は果たしてここにいるみんなに還元されるのか…?と考えつつも、夕日が沈んで暗くなり始め、おなかが減った私の頭の中はミーゴレンにするかナシゴレンにするか、はたまたビーフンゴレンにしようかという選択にスイッチしていったのでした。
とにかく、海に沈む真っ赤な夕日は本当に綺麗でした。
翌日はバンタエン県を訪問しました。朝8時にホテルへバンタエン県の公用車2台とパトカーが1台が私たちを迎えに来ていました。噂に聞いていた通り、道中をパトカーが先導してくれるようです。
ホテルを出た直後から、渋滞していようがなんだろうが(公用車にもサイレンのような警報音を鳴らす装置がついていました)常にサイレンが鳴りっぱなし、牛が道路を横切るような田舎道を時速100キロ以上のハイスピードで走ります。車中は戦々恐々、運転手のお兄さんはそんなことお構いなしに自分のお気に入りの音楽をかけて鼻歌なんか歌っていました。彼らは毎日この速度でマカッサルとバンタエンを往復しているので慣れっこみたいです。車窓から外を眺めると、東南アジアに良く見られる高床式の民家が多く、豆を栽培している畑、牛を放牧している大草原、エビの養殖場など、広大な自然と人々の暮らしを少しですが見ることができました。 3時間くらいかかると聞いていたのですが結局1時間半程でバンタエン県の知事公邸に到着。ヌルディン知事に面会できるのはお昼頃になるということで、先に県関係者の方々と病院などの見学に行きました。
市民病院はとても規模が小さくベッドの数も全然足りていないそうで、患者を受け入れたくても受け入れられないのが現状だそうです。現在病院の裏の海を埋め立てて、大きな医療センターを建設する一大計画が進んでいるということでした。実際既に埋め立て工事は始まっており、数年後にはバンタエン県だけでなく近隣の県の人たちも受け入れ可能な、大きな病院になるだろう、と病院関係者の方が説明してくださいました。病棟の中も見学させていただきましたが、バンタエン県は貧困地域が多く、経済状況によって病室も区別されています。個室もあれば、お金を払えない人たちの病室もあり、そういう部屋は細かく分けることができないので、大人の症状が子供に伝染してしまうのが大きな問題だということでした。栄養失調で入院している子供や、病院にかからず自宅で出産したもののお母さんの妊娠中毒症で口が開かず、数週間経っても口から栄養摂取が出来ない赤ちゃんなど、貧困地域の抱えている問題を初めて目の当たりにする機会になりました。
病院にはたくさんの患者さんがいらっしゃって、私たち団体がぞろぞろと中を練り歩くのでかなり驚かれている様子でした。カメラを持った外国人が団体で押し寄せたことに、もちろん患者さんはいい気持はしないでしょうし、私達もなんともいえない居心地の悪さを感じました。しかしここの人たちも、こちらが笑いかけるとどの方も必ずニコッと笑みで返してれるので、出来るだけ少しでも親近感を持ってもらおうと必死に笑顔で過ごしました。
次に実際に病院からほど近い貧困地域を 2 カ所訪問しました。一つは海辺の地域で、海苔の養殖をしているところ。もう一つは川辺の近くで、セメントなどの原料にする為に川の石を細かく砕く、ということを仕事にしているところでした。今回おもちゃとぬいぐるみのほかに、写真など撮ったことがない人がほとんどらしい、ということでインスタントカメラを用意していたのですが、予想通り反応が良く、あっという間に私の周りに人だかりが出来てしまいました。本当は子供達の写真を撮ってあげたかったんですが写真に興味を示してくるのは大人ばかりで、時間も限られた中では限られた人しか撮影できず不公平感が残るだろうということは想像がつきました。出来るだけ親子の写真を撮るようにして、白いままの写真をどんどん渡していきました(少し経ったら写真が出てくるというのは先に撮った人が説明してくれるので大丈夫でした)が、やはり貰った人はとても嬉しそうにしています。フィルムは十分にあったので出来るだけ多くの人の写真を撮りたかったのですが、 2 カ所目の地区はとにかく人が多く、撮り始めると収拾がつかなくなることが目に見えていました。おもちゃを配っている間どうしようか考えていましたがせっかくフィルムも余っていたので、おもちゃを貰えなかった子に写真をあげる作戦に出たものの結果は惨敗、すぐに大人の人だかりに囲まれました。私も私もと集まる人たちに軽い恐怖感すら覚えつつ撮っていましたがタイムアウト。他のスタッフに半ば押し込められるように車に乗り込みました。
その後知事公邸に戻ると、ヌルディン知事をはじめ県の重役の方々が大勢いらっしゃいました。ヌルディン知事はご夫婦ともに九州大学に留学されていたということで、浜田し○ひろスタッフもびっくりのダジャレが出るほど流暢な日本語でお話しされます。現在マカッサルの貧困世帯の割合が約50%、これをヌルディン知事はご自身の任期中に20%までにしたいとおっしゃっていました。マカッサルは海と山に挟まれて自然や土地にはとても恵まれています。海では新鮮なシーフードが沢山捕れ、平地では作物が実り、山地ではりんごやぶどうなどの果物、コーヒー豆などが収穫できます。ただそこに暮らす人々がその豊富な資源をどのように流通にのせるのか、どのように自分たちの収入・利益に換えるのか、その方法を知らない、やり方がわからないのだそうです。これからやらなければいけないことは、企業などを誘致して雇用の場を増やすこと、そしてこれからの世代への「教育」に力を入れることだとおっしゃっていました。
小学校は義務教育(法律では行かなければならないと定められているそうですが、前述の地域の子供たちがみんな学校に行っているとは到底思えません)で授業料は無料ですが、制服代や教科書、ノート代が払えない為に学校に行っていない子供は少なくないそうです。チップ欲しさに車が行き交う道路の真ん中で交通整理をする子供もいれば、CDショップで人気アーティストのCDをお母さんにおねだりしている子供もいます。ショッピングモールのマクドナルドで楽しそうに食事をしている家族もいれば、ダンプが行き来する砂埃の立ちこめた路上の市場で買い物をする人たちもたくさんいます。緊急事態であれば他国からの資源物資も大切です。工業先進国からの技術指導も必要不可欠だと思います。しかしこの国に今必要なものは果たして?おもちゃを貰った子供たちは、今の生活に不満も諦めもありません。屈託のない笑顔で笑いかけてくれます。彼らに教育を、とおっしゃるヌルディン知事は現在 45 歳。バンタエン県の県政に取り組んだ後、大統領選挙への出馬も視野に入れられているそうです。写真に写った子供たちは10年後20年後、どこでどんな風にどういう思いであの写真を見ることになるのでしょうか。彼らのおかれている現状を自身で客観的に見ることが出来る機会は来るのでしょうか。
今回の研修で、ボランティア活動とはいったいどうあるべきなのか、とても考えさせられました。根本的な解決方法を考え出すと途方に暮れます。自分たちが出来ることと本質的な問題を比べるとあまりにかけ離れているようで何をやっても意味がないように思えてきます。最初にも書いたように、私たちが数日間滞在したコミュニティでは、ほんの上辺の部分しか触っていません。もう少し、別のコミュニティへ足を踏み入れ廻りをゆっくり見回すことが出来ていたら、また違う感想を持ったかもしれません。その土地の人々の歴史や風土を感じることはとても大切だと思います。そうやって現地の実社会をより知ることが出来たとき、もう少し私たちのあるべき姿が見えてくるのではないかと感じました。
--編集部注-----------------------------------------------------------
弊社のスタッフらが感じたままに寄せたインドネシア研修レポートです。
数日間、何回かに分けて公開しております。ぜひご覧ください。
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