HONDA ベンリィ スーパースポーツ CB92

ferrari dino photo

 

浅間クラブマンレーサーの熱い血が蘇る

TTレース出場宣言から5年、1959年、ホンダDOHC4バルブ2気筒RC142と2バルブRC141でマン島TTレースに出場した。それは、日本のバイクメーカー初の世界GP選手権出場であった。初出場ながらも健闘し、6、7、8、11位へ入賞。6位のライダー谷口尚己は銀レプリカ、ホンダはメーカーチーム賞を獲得し、その名を一気に世界に知らしめた。

ベンリイ・スーパー・スポーツ(通称ベンスパ)CB92は、ホンダがTTレースのライト・ウェイト・クラスに参戦するために開発したCB90をさらに改良して生まれたマシンである。このTTレーサーの生まれ変わりとも言えるバイクは、ターゲットを1959年8月の浅間火山レース(第二回全日本クラブマンレース。第一回の勝者はヤマハだった)に据え、1959年5月にベンリィSSとして限定販売された。

その時の有名なエピソードがある。

この時代の国内レースのメインステージ、浅間火山コースでは、ホンダとヤマハが激しいバトルを繰り広げていた。ホンダがマン島TTで快挙を成し遂げた'59年、このレースにマン島帰りのホンダチームがマン島レーサーをベースにしたアサマ型RC142(125cc)とRC160(250cc)4気筒を持ち込み、話題の中心となっていた。
浅間ではプロクラスのファクトリーレースとアマチュアによるクラブマンレースが開催されていた。そのクラブマン125ccクラスでは、ホンダの浜松製作所の支援を受けた関西ホンダスピードクラブの18歳の新人、北野元少年がベンリィSS(後のCB92)を駆って優勝した。クラブマンでの優勝者は特別にファクトリーレースに招待されることになっていたため、翌日のウルトラライトクラスに北野元少年が出場し、マン島帰りのホンダワークスRC142と一緒に走ることになった。そして・・・信じられないことにそのレースで少年の駆るCB92が優勝してしまったのだ。(余談だが、北野元少年はクラブマンレース500ccでBSA350ゴールドスターを駆って大排気量車を抑えた高橋国光と共に翌年からホンダのファクトリーチームに迎えられた。)

ベンスパCB92は、その由来やスーパー・スポーツのネーミングでも明らかなとおり、レース活動に使用できる設計となっていたマシンだが、販売においてはツーリング・モデルとしての市場が狙われた。そのため、スポーツモデルとしては珍しくスターター・モーターが取り付けられている。

さらにおもしろいのは、スポーツ走行とツーリング走行をオーナーの用途に応じて選択できるよう、前照灯やテールライトなどの保安部品は簡単に取り外せるようになっている。また、高度な走行性能を発揮させるレース専用のY部品や、種目に合わせたエンジン、車体、足回りなどのレーシング・パーツが多彩に用意され、多くのモータースポーツファンを魅了した。
初期のCB92は受注生産となっており、アルミフェンダー、アルミタンク、マグネシウムブレーキハブの採用など徹底した軽量化が図られていたが、生産の拡大と同時にこれらのパーツはスチール製へと変更されていく。
展示のCB92は二人乗りシートを採用した後期のモデルである。