Dino 246GT

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DINO V6エンジンに刻まれた運命的な物語。

フェラーリ創設者エンツォ・フェラーリの長男・アルフレディーノ・フェラーリは、子供の頃から車に強い関心を示し、モデナの工業高校を卒業後、ボロニア大学で工学士の称号を取得、父と同じ道を歩み始めていた。

ちょどうその頃、1954年から55年にかけて、フェラーリはGPレースでの戦歴が振るわず、スクーデリア・フェラーリ時代(アルファ・ロメオ専属レーシングチーム)からエンツォが一目おいていたエンジン設計者を呼び戻すこととした。ランチア社で才腕を振るっていたヴィットリオ・ヤーノである(アルファ・ロメオ6c/1750、8c/2300などの名車でこのマークのプレステージを確立した主役)。
このふたり、アルフレディーノとヤーノ技師のプロジェクトによって、F2用のV6エンジンの礎は築かれた。

エンツォは世界最速の頂点を執拗にV12エンジンで挑んでおり、フェラーリとしてV6エンジンという伝統に背くプロジェクトにGOサインを出したことは一種の奇跡であった。ヤーノの豊富な経験に対する敬意と、アルフレディーノへの信頼と深い愛情によってこそ実現したといってもいい。
やがて、予期せぬ不幸が惹起する。 1956年6月、アルフレディーノは病に倒れ、わずか24年の生涯を閉じてしまう。それから5ヵ月後の1956年11月、最初のV6エンジンユニットに火が入った。以降、このエンジンを搭載した車両にはフェラーリの名は用いられず、アルフレディーノの愛称「ディーノ」の名で称されることとなったことは有名である。

このロードゴーイングDINO246GTの元祖である206GTは1968年にデビューした。それまでのフェラーリGTと同様にボディをアルミで形成し、手間のかかる工法で組み立てられていたため、1年間でわずか150台ほどしか世に生み出されなかった。そこでフィアットの力を借りて本格的に生産されたのがこの246GTである。アメリカ市場での成功をもくろんだ246GTは、エンジン・シリンダーブロックをフィアット130用と同じ鋳鉄製に変更して耐久性を引き上げ、同時にボアを拡大。ポルシェ911に対抗し得る2.4リットルの排気量を得た。さらにボディはスカリエッティの手でアルミからスチールへと置き換えられ、その工法も職人による叩き出しからスタンピングマシンによるプレスへと変化していく。
1972年には、北米西海岸のオープンモータリングへの要望に応えるため、タルガトップモデルの246GTSがラインナップに加わり、フェラーリ・ロードカーの量産化を押し進めていった。

余談であるが、この博物館にある246GTは、アクシデントのためルーフ部分、ボディ表面から車内までが損傷した車両を、現在のオーナーが入手し、レストアしたもの。シートやダッシュボードなどは再生不能であったためレース仕様に仕上げた。 フロントノーズ、左右のドア、トランクリッド部分はアルミの叩き出しで形成。オリジナルよりも約200kgの軽量化に成功。車高も約30mmダウンとなっている

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