限界に挑戦した小粒なマシン。
アバルトは数々の栄光を勝ち取り、”ジャイアント・キラー”伝説が生まれた。
フィアットのシャーシ、ザガートのボディ、アバルトのエンジンチューニング。
わずか1リットルに満たないコンパクトなエンジンをリアに搭載したこのマシンは、若者たちに絶賛され、富豪たちの高価で大排気量のマシンたちを追いかけまわしたという。
フィアット・アバルト・850SS・レコルト・モンツァ・クーペ・ザガートはアバルト神話の”ジャイアント・キラー”時代を疾走した1台である。
エンブレムに刻まれたサソリ。その毒がマニアたちを魅惑する。
現代の自動車産業は大量生産が主であるが、ひと昔前には、これとはまったく逆の考え方を持った小さな自動車メーカーが多く、そこから何台かのヒストリックカーが誕生した。
なかでも強烈な個性を持っていたのがイタリアのアバルトである。その黄金時代は1950年代から60年代。小粒なマシンに1リットルに満たないエンジンを搭載し、レースに参戦。大排気量マシンを追いかけまわし、数々のクラス優勝や総合優勝を制覇した。その姿から”ジャイアント・キラー”と呼ばれ、小さいながら一撃で相手を倒すサソリの毒性にたとえられた。また、魅惑的で美しいボディ・ラインもサソリの毒性の1つといわれ、レース好きのマニアたちや資金の少ない若者たちを一層虜にした。
アバルトは、路上で、レースで愛された。ナーバスで操作しにくいといわれたスポーツカーであるが、かえって、それもサソリの甘く危険な毒性となり、いまや伝説となった”アバルト神話”が生まれたのである。
小粒なアルミ・ボディのお尻に潜めた、リトル・ダイナマイト。
1950年代から60年代当時のアバルトのマシンは、フィアットのシャーシ、カロッツェリア・ザガートのボディ、アバルトの高性能エンジン・チューニングで構成されていた。
850SS・レコルト・モンツァ・クーペ・ザガートでは、フィアット600のOHV32馬力のエンジンがアバルトの手による250cc近いボアアップと高圧縮比により、57馬力を絞り出した。リアの巨大なエア・インテークもさることながら、小さなボディから想像できないほどのパワーを秘めたマシンといえる。
そしてスタイリングもチャーミング。GTの空力を意識した滑らかなデザインが魅惑的にマニアを誘う。
四国自動車博物館にあるこのマシンは、エンジン、ミッションからボディ全般、足回りに至るまで完璧にフルレストアされている。前オーナーはRIA(イタリアのアバルト・クラブ)の会長。このマシンは彼に長く愛用されつづけ、ヨーロッパの数々のヒストリックカー・レースにも参戦した貴重な1台である。
コンパクトなボディから伝わるサソリの気迫は、今でも伝説の時代を疾走した強烈な香りを漂わせている。
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