今回の目的はインドネシアに送った救急車・消防車の贈呈式に参加すること。嶋崎さんが輸送の手続きや、インドネシアでのスケジュール調整をやってくれており準備万端!!と思いきや・・・・なかなか出発日程が確定しない・・・。聞くところによると、インドネシアの州知事や県知事から日程の返信が来ない・・・、救急車の到着予定がはっきりしない・・などあいまいな部分が多くなかなか日程が決まらない。日程が決まりいよいよ明日出発となったが、衝撃な事実が発覚!!救急車が私たちの滞在中に到着しないとの事。今回は贈呈式で目録を渡すことに急遽変更。こんなハプニングがありつつもチームバンタエンはインドネシアへ向かった。
7時間の飛行機の旅からデンパサールに降り立ちまず思ったことがある。暑い・・・ ( 汗 ) インドネシアは赤道に近く暑いとは分かっていたが予想以上に暑い。それもそのはず、今の時期、インドネシアは雨季であるため湿度が高い。じめじめした暑い空気が肌にまとわりつくような感じだ。空港から清一さんが働いているハジカラトヨタの本社があるマカッサルへ向かう。向かう車から見る景色は戸惑うことばかりだった。町中は道路がアスファルトで整備されているもののすぐ脇は土である。そのため町中が砂埃でかすんでみえるくらいだ。そんな中、屋台では料理を売っている。一番驚いたのは交通状況である。2車線のところを3列になって走っている。交通量も高知とさほど変わらないくらい多い。その間を2人乗りや3人乗りのバイクが多数すり抜けていく。しかも車線変更の時に後方確認はない。車線変更するときはクラクションを鳴らして車の頭をねじ込む。いろいろな場面でクラクションを鳴らすのが習慣らしい(後で清一さんから聞いた話によるとインドネシアではクラクションおホーンが消耗部品らしい・・・)。なんど悲鳴に近い声を上げただろうか。走行中のサイドミラーにアップの人の顔が写ったのをはじめて見た。絶対こんなところ運転したくないと思った。
ハジカラトヨタは本社を含め3店舗回ったがどこのショールームもきれいで大きなショールームだった。日本のショールームと比べても遜色がないくらいだ。受付にはどの店舗にも女性スタッフがおり受付・接客・販売を行っている。男性営業がショールームで接客している様子がない。男性は外へ営業に行くのが基本らしい。ショールームに並べられている展示車はどれも見たことがない車種ばかりで新鮮だった。ヤリス(日本名ヴィッツ)も展示されていたがスタッフから金額を聞いてびっくりした。日本で120万ほどの車だが、こっちでは300万くらいするらしい。同じショールームにある3列シートの車のほうが安い。ヤリスには輸入時に2倍近くの関税がかかりそのせいで高いらしい。インドネシアではお金持ちの人、あまりお金を持っていない人ではっきりと分かれるらしい。中間層がいないのだ。車を持っている人はお金持ちの人が多数である。それにしても、ショールームの中が暑い。冷房が効いていない。なぜ冷房をつけないのかと聞くと、停電中とのこと。最近、発電所の一つが壊れて稼働しておらず朝・昼・晩の計3回停電になるらしい。その間の電力は自家発電でまかなっているようだ。この状態がしばらく続いているらしい。インドネイアの人達はかなりルーズな国民性を持っている。そのため、発電所のメンテナンスなんかもほとんどできていなかったのが今回の原因らしい。
翌日はメインイベントの贈呈式と貧困地区の訪問のため、マカサッルからバンタエンへ向かった。日本出発時にこの日の移動には護衛がつくと聞いていた。バンタエンにヌルディン知事の車が2台ホテルに迎えに来てくれ、その先頭にパトカーが一台。普通に行くと3時間かかるところを2時間弱で行くらしい。われわれが車に乗り込みいざ出発、と共に先頭のパトカーのサイレンが鳴り出し進路にいる車を横に寄せていく。その間を100kmくらいでかっ飛ばしていく。車線なんて関係なし。反対車線が空いていればあたりまえのようにそっちを走っていく。文書ではなかなか伝わらないのが残念。
バンタエンの知事公舎に到着するが、知事が用事でもう少し時間がかかるため先にバンタエンの病院を訪問することになった。病院の訪問はわれわれが考えていた以上の光景だった。衛生面は最悪で病室内を無数のハエが飛んでいる。個室はお金がある人のみで、お金がない人は大部屋に入院している。しかし、子供専用病棟というのはない。そのため、大人の病気が免疫力の低い子供に感染してしまうこともあるという。産婦人病棟がありその中に産まれて間もない子供がいた。母親のお腹にいる時に毒に侵されてしまったらしい。よく見ると、口を開くことができず、手足も正常に整ってはいない。日本のように医療機器も揃っておらず、満足な治療はできていないようだった。この地区では正常に子供が産まれてくる確率は3割ほどらしい。日本では考えられない現状だった。医療器具・ベッド・医者・薬、すべてが足りない。次の支援物資の中にベッドが2つあるがこれが劇的な変化をもたらすことはないだろう。しかし、その増えたベッドによって何人かの命の役に立てばと心から願った。
病院を後にして、貧困地区を2箇所まわった。両方とも昆布の養殖や岩を砂利に砕く仕事で生活をしていた。また、魚を獲って町へ売りに行くなどで生計を立てている。しかし、それらの稼ぎでは十分ではない。それなのにその地区には多くの人がいた。なにをするわけでもなく、ただ座っていたり話をしていたり。われわれが持ってきたおもちゃのお土産を配り始めると一気に人が集まってきた。譲り合いといったものはなく、我が先にという感じである。子供に喜ばれるようにとおもちゃやぬいぐるみを持って行ったが、目の色を変えて取りに来るのは大人であった。
その後、知事公舎へ戻りヌルディン知事との対面。知事だけかと思いきやバンタエンの各地区のリーダーもわれわれの為に集まってくれていた。「バンタエンの発展のために一番必要なものは教育だ」という知事の言葉が強く印象に残っている。たしかにその通りだと感じた。教育がもっとしっかりして一人一人がしっかりと自立できればもっと可能性が広がっていくのではないだろうか。われわれができることはバンタエンを劇的に変えることではない。バンタエンの発展にはバンタエンに住み暮らしている人々の力が必要不可欠であると感じた。教育に関してはバンタエンに限ったことではない。インドネシアの教育は日本と同じように小学校・中学校があるが授業は午前中で終わりだ。日本の三分の一の時間しかないのである。これでは満足な教育ができなのではと感じた。教育が不十分であることはさまざまな問題を生むと思う。犯罪の増加や国の発展の妨げにもつながってくると思う。この問題に関してはわれわれには何もできない大きな問題であるが、今回訪問したヌルディン知事のような人物が国のトップに立つことで改善されてくるのではないだろうか。
インドネシアには数日間の滞在だったが、いかに自分が恵まれているのかを痛感した。十分な教育を受けることができ、衣食住に困らずに生活できることが当たり前のように感じていた。また、ボランティアというものに対しての考えにも少し変化があった。今まではボランティアとなると、物資支援や労働支援と考えていた。今回の訪問で、これらでは一時的なものにしかならないと感じた。問題を根本的に解決するための支援を行うことの難しさを痛感した。改めて考えると今回の清一さんの技術支援はやはりすばらしいものだと感じた。一時的なものではなく、今後も生かしていけるからである。今後このような支援ができれば!!と思うもののなかなかいいアイデアは浮かばない。今回の活動はインドネシアという国から見れば本当に小さいことだが、この活動が波紋のように広がりより多くの人に影響を与えるようなればと願う。
--編集部注-----------------------------------------------------------
弊社のスタッフらが感じたままに寄せたインドネシア研修レポートです。
数日間、何回かに分けて公開しております。ぜひご覧ください。
------------------------------------------------------------
山本スタッフによる人材交流プロジェクトを絶賛応援中!